麻雀ゲーム.COM

麻雀ゲーム.COM

麻雀の歴史



麻雀の起源については、中国でつくられたことは確かであるが、詳しいことはわからない。禹(う)帝時代(前2000ころ)に巴林(パーリン)という牌を用いた遊びが宮中で行われ、これを麻雀の起源とする説もあるが、真疑のほどはさだかでない。現在の麻雀は、明(みん)代の天啓年間(1621〜27)につくられた馬吊という牌の遊びから、馬吊は明代初期にあった游湖(ユーホ)という牌の遊びから、さらに游湖は唐代にあった葉子戯(イエツーシー)という紙牌を用いる遊びから変化してつくられたというのが、ほぼ定説になっている。いずれにしても、現在の麻雀の形態と内容が完成したのは清(しん)代初期になってからであり、宮中に多くの学者を集めてつくらせたという説と、光緒年間(1875〜1908)に浙江(せっこう)省寧波(ニンポー)に住んでいた陳魚門という人の創作によるものという説とがあり、一般には後者の説をとる人が多い。 麻雀の特色の一つは牌の図柄にあり、筒子(トンツ)は銭を、索子(ソウツ)は銭差しを、万子(ワンツ)は銭の多少を表す数字を意味するといわれる。巷説(こうせつ)ではあるが、白板(パイハン)はおしろいを、緑発(リューファ)は緑髪を、紅中(フォンチュン)は紅顔を意味して官女に擬したものという。また一説には、白、発、中は『礼記(らいき)』にある投壺(とうこ)という遊びから出たもので、白は的を、発は投げることを、中は的中することを意味しているという。また索子の一の鳥の図柄は、当時の官女たちが、自分の身の上を籠(かご)の鳥に例えて慰めるためだったともいわれている。 日本に麻雀が初めて伝来したのは明治の末期で、中国とアメリカから前後して伝えられたようである。一説では中国の四川(しせん)省に英語の教師として招かれた名川彦作という人が、1910年(明治43)に帰国した際、麻雀を持ち帰ったのが最初といわれている。また他の説では、中国から伝えられた麻雀は、横浜や神戸の中国人街で一部の貿易関係者が行っていたもので、明治の終わりごろアメリカから帰国した人々が麻雀を持ち帰ってから一般の人々に広く普及するようになったとされている。 日本で麻雀が広く国民の間に流行したのは大正末期ごろからで、1929年(昭和4)作家の菊池寛が主宰して日本麻雀連盟が結成され、おもな都市には麻雀クラブができ、全国的なブームを出現した。その後、満州事変から戦時色が濃くなり、取締りも厳しくなって、第二次世界大戦中はまったく鳴りを潜めていた。終戦とともにふたたび流行し始め、現在は職場でも家庭でも、遊びを兼ねた賭(か)け事として親しまれている。

★東風荘を覗いてみる★



トップページに戻る

(C)麻雀ゲーム.COM